量子ウォーク~人工量子系における多様なダイナミクス~

二十世紀に入り発達した量子力学により、ニュートン力学に代表される古典力学では説明がつかない、主にミクロなスケールで発現する一見不思議に思える物理現象を理解することが可能となりました。量子力学では、全ての粒子は波としての性質を持つとされ、粒子の量子的状態は波動関数で記述されます。さらに、このような量子力学に従う粒子は、スピンと呼ばれる内部状態を持ちます。例えば、アップスピンとダウンスピンという二種類のスピンを持つ電子に対して、以下のような操作を考えます。

  1. 電子の内部状態に対して”コイントス”を行い、アップスピンとダウンスピンの重ね合わせ状態の割合を変更する。
  2. アップスピンに対応する波動関数成分を左へ、ダウンスピンに対応する波動関数成分を右へ移動させる。

このようなとても簡単なルールに基づく量子系のダイナミクスを量子ウォーク*1と呼びます。量子ウォークは、冷却原子と呼ばれる数マイクロケルビン*2にまで冷やされた原子や、光ファイバーなどよる光学ネットワーク中のフォトン(光子)を用いた人工量子系で実現されており、そこで観測される現象は、ルールの単純さに反し、驚くほど多岐に渡っています。

図:左右方向に加え、上下方向にも移動する量子ウォーク

量子ウォークでは、対象とする粒子の波動関数が古典的なランダムウォークよりも速く伝播するため、量子探索問題量子情報輸送などへの応用が期待されています。探索問題とは、分かりやすい例を挙げると、見た目では全く見分けがつかない $N$ 本の鍵が束ねられた鍵束の中から、宝箱を開けることができる正しい鍵を1本見つけ出す問題です。古典的な探索手法とは、宝箱が開くまで鍵を1本ずつ鍵穴に差して試すという方法であり、この方法では正しい鍵を見つけるまでに平均として $N/2$ 回の試行が必要となります。一方量子探索を用いると、飛躍的に探索効率が上がり、$\sqrt{N}$ 回の試行で正しい鍵を見つけることが可能となります*3。本研究グループでは、実験的に実現可能性の高い系における量子探索問題や、現在物性物理学の分野で盛んに研究されている、トポロジカルに保護されたエッジ状態を用いた量子情報輸送を理論的に研究しています。

図:トポロジカルに保護されたエッジ状態の移動

量子ウォークの実験は光学系で行われる場合が多いため、光の増幅と減衰の効果を取り入れることができます。本研究グループでは、そのような開放量子系の中でも、空間反転(Parity)と時間反転(Time-reversal)を組み合わせた対称性である、PT対称性を有する系を理論的に研究しています。対称性に着目することにより、系の詳細に左右されない普遍的な性質を抽出することができます。最近、PT対称な非ユニタリー量子ウォークにおけるエッジ状態の振舞いに関する我々の理論予想が実験で確認され、Nature Physicsに掲載されました。量子ウォークを用いることにより、未だ完全には理解されていない開放系における量子ダイナミクスの理解がさらに進むことが期待されます。

図:時間と共に指数関数的に増幅するエッジ状態の波動関数振幅

*1) ちなみに量子ウォークという名前は、量子ウォークが古典的なランダムウォークを量子力学へ拡張した理論モデルとして考えられることに由来します。

*2) 0ケルビンは絶対零度と呼ばれ、物質の熱振動が最も低い状態です。摂氏0度は273.15ケルビンに対応します。

*3) 不正確であるが分かりやすさを優先して探索効率が上がる理由を説明すると、鍵が量子的な重ね合わせ状態にあり、全ての鍵を同時に鍵穴に挿し込むことが可能となるためです。

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