言葉の本来の意味

前回の文章を書いてから、今回の更新までにまた1年以上間が空いてしまった。ここ数か月以内に複数の方から「望月さんのホームページ見ました」と言われ、何かを書く気が起きた。「何かきっかけがないと何も書かないのか?この怠け者!」と言われると、ぐうの音も出ない。

タイトルの話に入る。といっても、大業なタイトルの割に大した話ではない。他の回もそうなので、わざわざ断る必要はない気もするけれど。煽り文化に染まっている人々の間では、言葉が字面通りの意味で使われない事が多々ある。有名な例だと、「ええ時計してはりますなぁ→お前の話は長い」、「ぶぶ漬けいかがどすか?→帰れ」、「お嬢さんのピアノお上手どすなぁ→練習の音がうるさい」などが知られていると思う。このあたりの文言はもう擦られ過ぎて定型文化している気がする。京都に住んでいる義姉も、他人の家に行った時に「道が混んでたんですか?」と言われたらしい。敢えて煽り文句に翻訳すると「来るのが遅い」という意味だろうか。義姉によると京都ではちょこちょこそういった事があるらしく、義姉は煽り文句にも解釈できる誉め言葉を言われた時は大声で「ありがとうございます!」と言って乗り切るらしい。

自分は学生の時に、所謂ダサい服装をしている人に対して「うぅわ!かっこよ!!」と言っていた。自分としては煽り文句である事がわかりやすいように配慮していた(1)つもりだったが、他の人に真意が伝わらない事があった。煽り文化を共有している友人と「かっこよ!!」の言い回しをして楽しんでいたら、横でそれを聞いていた後輩に「え、あれかっこいいですか?」と半笑いで言われてしまったのだ(2)。あの時は何だか無性に恥ずかしかった。こういった事は、誉め言葉から貶し文句への変換に限定されず、より広く起こっていると思う。自分は気心の知れた相手と会話している時、お気に入りの居酒屋に対して「汚い焼き鳥屋」という言い回しを使う。自分はこの言い回しを褒める意味(3)で使っており、相手も「あの居酒屋良いよね!また行こう!」といった感じで同調してくれる。だが、人によっては意味が伝わらず、自分が「あの汚い焼き鳥屋行こうよ」と言った時に、「汚いとは何事か」と諫められてしまった事もある。その諫めてきた人は当時交際していた相手なのだが、もしかすると気心が知れていると思っていたのは自分だけだったのかもしれない。

自分もやっておいて何だが、こういった言い換えが蔓延し常態化すると、本当にぶぶ漬けを勧めたい時や本当に時計を褒めたい時に言葉選びに困ったり、言葉を文字通り受け取って良いのか判断に困ったりする。実際、先日複数人で会話している時、札幌が「大都会」と形容された際に一部の人はそれを煽り文句と解釈していた。自分はその時まで知らなかったのだが、田舎の町を「大都会」と形容し、煽る文化があるらしいのだ。自分にとっては、札幌は本当に大都会なのだけれど。このホームページに載っている他の文章を読んでくれた人から「望月さん、文才ありますね」と言われた時も、褒められているのか煽られているのか判断に困った。取り敢えず、義姉の処世術に倣って「ありがとうございます!」と言っておいたけれど、正解だったかどうかわからない。皆、無用な争いを避けるためにも言葉は字面通りの意味で使おうね。紙面は十分余っているが、書きたい事を書き切ったので、終わる。

1.わざわざ「うぅわ!」と言っているのはそういった配慮の一部だが、他にも、ニヤニヤした表情を作ったり、大袈裟に仰け反ったりしていた。最近、少し腰が痛いのだが、学生の時にそれをやり過ぎたせいかもしれない。

2.勿論、意味をわかった上で後輩がこの台詞を言っている可能性もある。そのあたりの判断も難しい。

3.具体的な特徴としては、ビールケースを椅子代わりにしていたり、机がベタベタしていたり、といった具合だ。敢えて翻訳すると、「落ち着いた雰囲気の焼き鳥屋」といった所だろうか。ただ、自分としては「汚い焼き鳥屋」が一番しっくりくる。自分が汚い人間だからだろうか。